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INTERVIEW

そば打職人から海外へ!チャレンジスピリットを胸に台湾で起業


“Hokkaido Showcase”インタビュー

株式会社スリーサークル 代表取締役
http://three-circle.com

三輪 貴寛 さん

<プロフィール> 北海道門別町(現日高町)生まれ。

東海大学海洋学部卒業後、トヨタビスタ札幌で4年間の営業担当を経験。その後、子どもの頃から仕込まれていた蕎麦打ちの経験を生かし、家業の蕎麦屋を手伝い始める。5年間の修行の末、実家の出汁の味、蕎麦屋の経営術を学び、2005年「手打ちそばさくら」を札幌市に開店。順調に店舗数を増やす。

2013年台北市にて「蕎麦櫻有限公司」設立し飲食店を開店。2015年拠点を台中市に移し、飲食店経営のほか、台湾への出店計画のサポート事業、通訳派遣、翻訳業、不動産業など幅広く活躍の場を広げている。

商売人の祖母に育てられた幼少時代

私が生まれたのは北海道の門別(もんべつ)というところです。実家は蕎麦家で、祖父母が切り盛りしていました。私が生まれた時、祖母の病気で母が蕎麦屋を引き継いだため、私は祖母に育てられました。根っからの商売人の祖母は、しょっちゅう「商売はこういうものだ」という「商売訓」のようなものを口にしていましたね。

その時は何も感じませんでしたが、今になって私の血肉になって支えてくれている気がします。10歳頃から蕎麦打ちも仕込まれ、中学3年生になった頃には、私が打った蕎麦が店で出されていました。

中学、高校時代は野球しかしていませんでした。高校は札幌に、大学は静岡へ行きましたが、ホームシックになる暇もありませんでしたね。東海大学海洋学部を卒業した後は、北海道に帰りたい気持ちもあって、トヨタビスタ札幌に入社しました。4年間車の営業をしましたが、サラリーマンには向いてないと思って会社を辞め、実家に戻り、店を手伝い始めました。

でも、幼い頃から蕎麦打ちは仕込まれていたものの、それ以外は何も知らなくて、出汁の取り方に始まり、蕎麦屋を経営していく「いろは」を5年間叩き込まれました。「自分には何ができるか」と問うた時に、やはり蕎麦屋だろうと、31歳で独立して札幌に「そばやさくら」を出店しました。

手打ちそば さくらで人気ナンバーワンの「鴨せいろ」

手打ちそば さくらで人気ナンバーワンの「鴨せいろ」

若いうちに海外で勝負したい

私はもともと海外志向があって、22歳の頃から海外へちょこちょこと旅行に行っておりました。4~5日間の小旅行だけど、タイ、マレーシア、ハワイ、フィジー、台湾、香港など、主に東南アジア諸国へ行きました。話を聞くだけでなく、実際にその国へ行って、その国の特徴なり様子を肌で感じることが大事だと思いました。高校で札幌、大学で本州に出た時に「外の世界はすごい」と思った事もあり、外の世界を見てやろうって気持ちも強かったです。

お陰様で「そばやさくら」の評判もよく、東京や大阪に店を出さないかとの話ももらいました。でも「国内だったら歳を取ってからでも何とかなる。若いうちに海外に行きたい」と、今から5年ほど前にマレーシアに出店することを考えました。マレーシアは当時、定年退職後のセカンドライフの地として人気が高く、父も定年後はマレーシアでの生活も考えていたので、店主は父にお願いしようと思っておりました。ところが父が日高町の町長に再選、またマレーシアでのテロやハラール問題があり、計画は延び延びになってしまいました。

その時に「台湾は親日派も多く、何でも好んで食べる人が多いので、台湾で蕎麦屋を出したらどうか」との話をもらいます。世界的に蕎麦を食べる文化の国はなく、台湾でテスト的にやってみて台湾でダメなら他の国でも難しいのではということで、台湾に行くことを決意しました。

「やったやつには敵わない」一歩踏み出す勇気が必要

4年前、台北にやって来て、その場で店を決めて帰りました。ちょうど、九州の大手会社が残した「居抜き物件」があって、その木目調の内装の雰囲気がとても気に入って即決しました。台北の家賃は高いし、台湾のこともよくわからないけれど、雰囲気的には間違いない、自分の肌で感じるものを信じました。とにかく2年間台湾でやってみて、ダメだったら日本に帰ろうと思っておりましたね。

祖母の言葉で、「事業を興すなら、30歳になってからやれ。失敗をおそれるな」というのがあったのですが、それも背中を押してくれたと思います。ちょっとカッコ良く言うと「やったやつには敵わない」。一歩踏み出す勇気が必要でしたが、ダメならやり直すとの覚悟もしていました。結局、台北の蕎麦屋は2年でたたみ、うどん・丼物の店にして台中に移転しました。台湾で、そばを日常的に食べる文化が根付くには、まだまだ時間がかかりそうだと感じました。

当時の状況は、北海道からの進出企業は12社ありましたが、6社は大手企業、残り6社はラーメン店でした。13社目の我が社はこれといった強みもなかったので、何でもやるしかない。逆に「何でもやるのがうちの強み」と開き直りました。あまり他社ではやりたがらないような手間隙のかかる仕事や官庁などから声を掛けられた仕事など、どんな仕事でも一つ一つ一生懸命やりましたね。

2年ほど経って、拠点を台中市に移してから、台湾人のスタッフの受け入れも開始しました。相変わらず金額的にも厳しい仕事の話も来ましたが、それにも何とか応えようとあちこち駆けずり回り、その結果、スタッフ達も経験を積み仕事ができるようになっていったのです。

今後の事業展開について

おかげで、一つの仕事が終わると、また次の仕事の依頼が来るという好循環が生まれました。今は、台湾スタッフも順調に成長し一体感のあるチームとして仕事を進めことができるようになりました。仕事をしていく上で、知らない事や疑問が出てくると、とにかくよく人に聞きます。そうすると知識が増えていく。

それが楽しくてしょうがないですね。失敗も多いけれども、その失敗を皆にオープンに話します。この前も多額の損失を出してしまいましたが、皆に隠さずに話しました。

現在では、飲食店の経営のほか、台湾への出店計画のサポート事業、通訳派遣、翻訳業、不動産業などを手掛けています。まさに「何でもやるのがうちの強み」となりました。最近、手がけている新規事業は夜市への出店です。台湾は夜市が人気スポットですが、台中の夜市の中でも最大規模の「逢甲夜市」に日本企業による日本村を作りました。

おそらく、日本企業では初の試みだと思います。幸先は順調でとても賑わっています。台湾の人たちの熱い気持ちを感じるひとときですね。私も毎晩、様子を見に行っていますが、販売員がいない時は私が店頭に立つこともあります。

スリーサークルは札幌を拠点に直営店「手打ちそば さくら」を3店舗経営

スリーサークルは札幌を拠点に直営店「手打ちそば さくら」を3店舗経営

新しい事業を始めるときはそのインスピレーションを大切に

現在、台湾では8名のスタッフ、札幌ではパートも含め60~70名のスタッフと仕事をしているので、台湾と日本、半分ずつの生活です。札幌では妻が経理・労務など全てを一人でやってくれています。現在、日本側の母体が順調なので、まだまだ台湾でチャレンジできると思っています。仕事は楽しくやらないと、と思っていますが、夢中になりすぎて突き進みがちで、危なくなると途中で妻がうまく手綱を引いてくれて助かっています。

祖母から「向かい風を感じたら、そのまま突き進んでもいいことは起こらない。立ち止りなさい。反対に追い風を感じたら、そのまま身をまかせなさい。それが商売の極意です。」とよく言われましたが、今になって祖母の言葉が身に沁みます。

また、台湾でビジネスをやろうと思ったらまず心に留めておくべき事。それは、台湾のビジネスパーソンはスピードが速い、ある意味せっかちということです。交渉事でも、その場で決められないと次はないと思った方がいい。あと名刺や会社のパンフレットを作成するときも謙遜はダメ。自社の良さを1.5倍あるいは2倍くらい良く見せるように工夫をすることが大事。

会社がちゃんとしていると評価されることは、商売をする上でとても大切です。 その上で、自分が現地で見て肌で感じたものを信じたらいい。新しい事業を始めるときはそのインスピレーションを大切に、これからもチャレンジし続けていくつもりです。

食事中もいつしか仕事の話に(台中メンバーの西山さんと三輪社長)

食事中もいつしか仕事の話に(台中メンバーの西山さんと三輪社長)

HOKKAIDO SHOWCASEについて

私自身、北海道の官庁や民間企業の方々と話をすることが多いですが、皆さん北海道の美味しい食材を世界に紹介したい、と強く思ってらっしゃいますね。そして、その想いを実現させるお手伝いができたらと思っているので、海外で事業をやりたいという方は遠慮なく手を挙げていただきたいです。いい商材をいい形で世界に発信していく、これを応援するのが私の役目と思っています。

HOKKAIDO SHOWCASEも継続してやり続ける事が大切だと思います。台湾でも北海道グルメは大人気ですし、太平洋SOGOの物産展でも北海道フェアが一番集客力が大きく、大人気のイベントとなっています。

「北海道国際物流機構(HIDO)」が、荷物を横浜や神戸からではなく、苫小牧や千歳から出すのにこだわるように、北海道の企業が頑張って北海道を拠点に、世界に誇れる北海道の美味しいもの、良いものを発信していけたら嬉しいですね。

インタビューを終えて

北国からの贈り物も所属する「北海道国際物流機構(HIDO)」の同志でもある三輪さん。人懐っこい目をくりくりと輝かせて、これからの台湾事業への想いを語ってくれました。会社名の「スリーサークル」は三輪さんのお名前が由来ですが、それ以上に「三方よし」の商売哲学が込められています。

これを基に日々努力されていらっしゃる三輪さんだからこそ、台湾の人々からも温かく受け入れられていると感じました。「北海道の食材を世界に」「食でお客様を笑顔に」同じ想いだからこそ、今後の北国からの贈り物の心強いパートナーとなってくれると確信しました。

北海道国際流通機構 設立セレモニーにて 弊社代表 加藤(二列目中央)と三輪社長(左隣)

一般社団法人 北海道国際流通機構 設立セレモニーにて 弊社代表 加藤(二列目中央)と三輪社長(左隣)